006.人生100年時代のキャリア事例②

人生100年時代のキャリア事例の2回目は、サッカーJリーグの初代チェアマン川淵三郎氏と、世界最高齢のプログラマーと呼ばれる若宮正子さんを紹介します。

川淵氏はサッカー選手として活躍後、約20年間は普通のサラリーマンでした。51歳で出世コースからはずれた挫折を機に、Jリーグ設立に奔走しました。川淵氏のリーダーシップのおかげで、日本サッカーはプロ化に成功しました。

若宮さんは、銀行を60歳で定年退職後、パソコンと出会い、独学でプログラミングを始めました。81歳のとき、世界最高齢のアプリ開発者としてアップル社から表彰され、87歳の現在も日本政府のデジタル化検討委員などで活躍しています。

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005.人生100年時代のキャリア事例①

今回は、最初の日本地図を作成した「伊能忠敬」と、アンパンマンの作者「やなせたかし氏」のキャリアをご紹介します。ともに人生100年時代のキャリアのお手本です。

伊能は、49歳で家業を息子に譲り、江戸で測量の勉強を始めました。幕府に認められ、55歳から72歳まで17年かけて全国を測量して歩き、世界最高レベルの地図を作成しました。

やなせ氏は、若いときは漫画家としては売れませんでしたが、60歳過ぎに書き始めたアンパンマンが大ヒットしました。94歳で亡くなるまでに1,768体のキャラクターを描き、ギネス記録に認定されました。

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004.令和のキャリアモデルとは?加速する社会変化に対応するために

近年の社会変化の背景には、「グローバル化」と「テクノロジーの進化」があります。パソコン、インターネット、携帯電話が普及し始めたのは、まだ25年前です。スマートフォンは10年余りで、世界中の人々の生活や働き方を変えました。今後も変化は加速するでしょう。

ロンドン大学のリンダ・グラットン教授は、著書『ライフシフト~100年時代の人生戦略』において、「仕事と勉強を繰り返していくキャリア」を提唱しました。山岸はこれを、「令和時代のキャリアモデル」として、日本社会に当てはめて紹介しています。日本政府や経済団体も、働き方改革や週休3日を推進し、浮いた時間で副業やリスキリング(学び直し)を推奨しています。

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003.人生は大海原~漂流しないために

「キャリア」の語源は、馬車の「わだち」。つまり、キャリアを考えるとは、「自分の人生では、どんな跡を残していきたいか」を考えることなのです。皆さんは、どんな跡を残したいですか?

また、「人生は大海原」とも言われます。広い海を航海するには、自分で行きたい方向を決め、進んでいかないといけません。といっても、人生は予定通りにはいきません。そこで大切なのは、キャリアの軸を決め、漂流しないようにすることです。

人生100年時代には、会社の寿命(約30年)より、個人が働く期間の方が長くなります。会社や組織に頼らず、「人生の主人公は自分」と考えることが必要です。

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002.山岸が人材開発コンサルタントになるまで

この番組は、「100年生き、そのうち60年以上働く時代」を、明るく過ごしていくためのヒントを差し上げたいと思います。
第2回は、山岸の自己紹介の後半です。化学会社に10年、経営コンサル会社に5年勤めた後、40歳から、4つの外資系企業に勤めました。上手くいくことばかりではなく、インド人上司と意見が合わずクビになったり、会社が合併して仕事がなくなったりすることもありました。

そして、50歳代半ばで、これまでの経験を、就職や転職に悩む人たちのために活かしたいと思い、人材開発コンサルタントになりました。

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